私は以前、軽いうつ病にかかりました。

原因のひとつは、それまで勤めていた会社に関係したことでしたので、その会社を退職しました。

精神科医の指示で、しばらく自宅療養をしていましたが、いつまでも休んでいるわけにはいかないので、ハローワークに仕事を探しに行きました。

事務職の求人票一覧を見ると、かなり古い日付で、ある霊園のパート事務員の募集が出ていました。

うつ病から復帰しようとしていた私は、『霊園か、静かでいいなあ・・・・・・』と思いました。

求人票を家に持って帰り、さっそくインターネットの地図で、霊園の場所を確かめました。

山の中にありました。

翌日、さっそく霊園を見ようと出かけました。

地図で見た通りの山の中で、新緑の若葉が匂う風の中に、ウグイスの澄んだ啼き声が耳に響き、心が洗われるようでした。

霊園事務所も、目の前にありました。

霊園が気に入った私は、すぐに引き返して、ハローワークに出かけました。

紹介窓口で霊園に問い合わせてもらうと、まだ求人中だということでした。

すぐに、応募しました。

面接の日が決まり、面接をした結果、採用になりました。

あんな静かな良い環境の場所で働けるなんて、一日の大半を過ごせるなんて、本当に幸運だわ、と私は嬉しくて嬉しくて舞い上がりました。

そして入園初日、出勤した私は園長から、すでに霊園で勤務している7人に紹介されました。男性が5人で、女性が2人でした。

園長は、女性のうちのひとりを私に紹介して、

「Aさんです。あなたの仕事は、Aさんから、教えてもらって下さい」

と言いました。

Aさんは営業担当で、4歳の男の子がいる32歳の主婦でした。私より15歳若くて、まつげがとても長くて色が白く、どちらかというと美人でした。歩き方に特徴があって、少し前のめりしながら堂々と大股で歩きました。

紹介されたとき、私はAさんから、私に対する反発のようなものを感じました。かなりきつい性格の持ち主だと思いましたが、この人から仕事を教えてもらうのだと思うと、私は、謙虚な気持ちで頭を下げました。

さっそくAさんから、毎日の仕事を教えてもらいました。ねちねちとした嫌味っぽい言い方や、偉そうな言い方には、内心、ムッとしましたが、顔には出さずに素直に「はい、はい」と返事をして、メモをとりました。

翌日、出勤した私は、前日にAさんから教えてもらった通りに、いくつかの墓石の掃除を始めました。どういう理由か、Aさんだけがまだ出勤していませんでしたが、Aさんは営業担当でしたから、どこかに営業で立ち寄っているのかもしれないと思いました。

私が墓石を掃除していると、事務所から園長が出てきて、私の前で立ち止まりました。そして、私にこう言いました。

「昨日、気が付いたと思うけど、Aさんねえ、あの通りの性格だから、あなたも腹が立つことが多いと思う。そういうときは、遠慮なく、私にそのことを言って下さい。あなたの前に採用した人にも、同じことを言ったんだけど、三日で辞めてしまったんですよ」

それから数日後、Aさんがなぜ営業担当になったのかという理由を、もうひとりの女性職員から聞きました。

Aさんは、半年ほど前までは、私がしている事務職をしていたそうです。しかし、Aさんの保育所に通う子供が、ぐずって素直に保育所に行こうとしないので、という理由で、いつも遅刻をしてきたそうです。ところがそれは嘘で、実は、子供が保育所に遅れる理由はAさんに原因があるそうでした。Aさんは、自分勝手な理由で、子供を保育所に遅刻させて、自分も勤務時間に遅刻するということでした。

事実を知った園長が、Aさんを問いただして、

「そんな勤務態度の悪い人間は、首だ。他の職員に対して、示しがつかない」

と告げると、Aさんは、

「首になると、子供を保育所に通わせることができなくなる」(子供を公立の保育所に通わせるためには、母親が働いていなければならない、という条件が必要だったので)

と言って、園長に、辞めさせないでほしい、と頼んだので、園長は、

「営業担当なら、遅刻しても、他の職員に対して、体裁がつく。そのかわり、営業成績が悪かったら、今度こそ首だ」

ということで、事務職から営業担当に変えられたそうです。

「だから、あなたの前に採用になった人にも、すっごい嫌がらせをしたのよ。でもそのことをまた園長が説教したから、今度は大丈夫だと思うけど」

ということでした。

しかしAさんは、それからも毎日のように、連絡なしで遅刻をし、勤務時間中も営業に出ることはなく、園長のいるときはおとなしく(なにもせずに)席に座っていましたが、園長が外出すると、園長の席に座って足を組み、タバコの煙を勢いよく吐き出してくつろいでいました。

またあるときは、私が園長から指示された資料を作っている目の前で、サッカーボールを壁に投げて遊んだりしていました。

そうして半年後、たまりかねた私はついに、園長に退職を希望する旨を伝えました。

園長は、「あなたがもたないのなら、誰を採用しても、Aさんがいる限りダメだろう。わかりました」

ということで、私が退職するのを理由にして、Aさんは解雇されました。

もちろん正面切って解雇すると、法律的にいろいろとやかましいので、辞めざるを得ないように仕向けて、Aさんのほうから退職願いを出させたそうです。
なぜ、そんなAさんを、園長は我慢して雇用していたのか、そして私が辞める前にAさんを解雇せずに、私が辞めることを理由にしなければいけなかったのか、それは、その霊園が、大きな霊園のチェーンのなかの一箇所だったからです。本部の方針で、解雇ができなかったからです。

なぜか? Aさんのように、若くてきれいな女性が、霊園で働くことは少なかったから、本部としては、霊園のイメージアップのために、どうしても雇用しておきたかったのです。